人間とコンピュータ。どちらが優れているか。という議論はナンセンスだと思います。
改良を重ねたプレカットは、データの入力さえ間違えなければ、精度が高く間違いがありません。
人口乾燥材への抵抗がなく、信頼できる材料を使い、それほど長寿命の家を望まないのであれば、コストと予算が圧縮できるプレカットは良い選択です。
ただ、プレカットの場合でも、木の性質をみて仕事をするかしないかでは、大きな差が出ます。
昔ながらの大工による墨付けの作業は、芯の位置や木目をみて、将来的な木の曲がりや反りを計算して、どの部位にどの木をどのように使うかを考えます。
時間とコストに追われる最近の現場では、木の上下も、どこに使うかなども関係なしに、右から左に、並べているという現場があることは残念なことです。
一生涯あるいは、次の世代にまで家を残したい。あるいは、真の日本の伝統建築技術をもった職人に委ねたい。また、出来る限り金物に頼った家にはしたくない。とお考えであれば、吟味した材料を使い、職人の手間代という若干の予算が必要になりますが、刻みという選択肢があります。
プレカットにもピンきりがあり、手刻みの仕事にもピンきりがあります。
コストを圧縮しようとして安い材料や、仕事を知らない人間の手で作られるプレカットの家と、材料を吟味し、きちんと経験を積んだ職人によるプレカットの家では全く出来は異なります。
それは刻みでもいえることです。
いい加減な仕事をしても、刻みは刻みです。
あえて言うなら、中途半端な手刻みであれば、プレカットの方が良いかもしれません。
私たちの職人は自分の仕事への誇りと、そして作ったものへの一生の責任を持っています。
そして何よりも仕事が大好きな職人です。何代も続く先代の職人の口伝を引き継ぎながら経験を積む一方で、良い仕事をする為に、日々創意工夫や道具の手入れにも手を怠りません。
見るヒトが驚き、関心する仕事を当たり前の事としています。
最近では刻む事の出来る職人がいなくなった為、あまり使われなくなった金輪継ぎ手。ひっぱりやねじれに強く、大きな梁の継ぎ手になります。
丁寧に作られた台持ち継ぎ手。きめ細かい細部にわたる気(木)遣いはプレカットには出来ない技です。
車知や二枚ほぞ等の継ぎ手仕口ももきちんと面をとった丁寧な仕事です。